黒歴史|狂気と正気の二重奏

2007年~2013年の黒歴史

忙しい土曜日

土曜日はクソ忙しかったです。
昼12時に東急東横線の某駅で難聴友人Aと待ち合わせて、マックで昼食&ダべリング。
久々に会う人でした。
彼女は以前は重度のメンヘラだったのですが、最近は治ってきているようでした。
急激に発症して治りやすい急性の精神病だったようで。
発症と再発を繰り返しじわじわ悪化していく慢性精神病の私とは違います。
ある意味羨ましい。
まぁ、急性期は大変だったみたいだけれど。
慢性は慢性でキツイっす。

ダべったあとは、聴覚障害者の情報提供施設で、若者の難聴者の集いに一緒に参加。
最近、難聴界によく出入りしているので、知り合い増えました。
春には都の難聴協会に入る予定だし。
交流会では、難聴で困ったこととか解決法とかについて話し合いました。
私もプチ難聴なので気持ち分かるW
微妙な聞こえなさが嫌なんだよなぁ。
補聴器付けても聞こえない時は聞こえないし。
そんな悩みを分かち合える人たちに出会えて良かったです。

友人Aは、人工内耳を入れています。
人工内耳も人工内耳で問題あるようで。
私は、彼女が病んだのは人工内耳によるアイデンティティの形成の問題も絡んでいると思います。
ろうでもなく聴でもない、それが彼女を苦しめたのではないかと。
彼女はまぁ、スケールアウトだったから、ろうになるか人工内耳かの二択しかなかったのでしょうが。
こんなこと言うのもアレですが、彼女の場合、人工内耳でもろう学校行って手話使った方が幸せだったのじゃないかと思います。
普通校・口話至上主義で育ったことが問題だったのかな、と。
子供が100dBを超える難聴だった場合、人工内耳を入れるかどうかは親の判断にかかっています。
私は人工内耳慎重派です。
110dBぐらいまでなら、補聴器で育てると思います。
120dB~だったら、人工内耳を入れるかもしれません。
ろうとして育てる選択肢もあるけど、可能性を奪ってしまうのもアレなので。
ただ、人工内耳入れつつも、手話も積極的に取り入れ、将来人工内耳を外すことを自分で選択できる道を用意したいと思います。
子供が聞こえなかった場合、将来自分でろうか難聴か選択できるような育て方をしたいなぁ。
まぁ、健常者のエゴで口話出来て欲しいってのはあるけど、ろうになっても否定しないよ、と。
初めからろうとして育てるバイリンガル・バイカルチュラル教育法もあるけど、初めからろうとして育てると潰しが利かないという問題点もあります。
んーろう教育って難しい。
このテーマだけで、1つのブログ作れますよW

まぁ、小難しい話は置いておいて、若年難聴者の集いの後は、私は銀魂オフへ。
毎度お馴染みの山崎コスです。
100人規模の大規模オフだけど、参加3回目となれば、結構知り合い増えるもんです。
知り合いに挨拶回りした後、飲んでたら、馴れ馴れしい男に話しかけられました。
「君、未成年でしょw」
どこがwww
「いや、24です」
と言ったら
「マジすか(  Д ) ゚ ゚」
と目玉ポーンしていましたw
んー、コスした時って、大体実年齢より下に見られるなぁ。
高校生に間違えられたり・・・。
実際そんなに若くないと思うのですが、アレだ、精神年齢が中2だからだ。
永遠の14歳☆
要するに中身がガキだから、そのオーラが外装に滲みでているのねw
リアル童顔ではないので、そうとしか思えんw
で、その馴れ馴れしい男ですが、なんか掴まちゃって、他の人との交流が前回より出来ませんでした(泣
名刺交換も1回しかしていないし、写真撮影も殆どしていないし・・・。
まぁ、そいつと喋っても楽しかったけど、もっと他の人と交流したかった(´・ω・`)
知り合いは1次会で帰る人が多かったので、私も1次会で撤収。
酒は2杯しか飲めなかったし、交流も一部としか出来なかったし、不完全燃焼でした。
次回オフは充実させたる!

土曜日はこんな感じでした。